永久欠番とは? ー選手だけじゃない!背番号に込められたファン、球団の思いと歴史ー

日本プロ野球(NPB)やメジャーリーグ(MLB)には、「永久欠番」といわれる制度があることをご存知だろうか。
あるチームで大活躍し記録にもファンの記憶にも残るプレーヤーの背番号をその選手に敬意を払いその後の誰にもつけさせない番号、すなわち「欠番」にすることである。
この永久欠番について、各チームの欠番選手とその歴史を考察していきたい。

 


 

今回、日本プロ野球(NPB)の永久欠番について連載していく。
プロ野球1球団ずつ各チームの永久欠番になっている選手や、永久欠番になるまでの物語など、意外にもファンにも知られていなかった永久欠番になっている番号やその理由など詳しく紹介していく。

まず今日は永久欠番って何?永久欠番の歴史や基準は?など永久欠番について紹介する。

まず永久欠番(えいきゅうけつばん、英語:retired number)とは、背番号などを使用するスポーツにおいて、多大な功績を残した人物の使用した背番号を、その人物の栄誉と栄光の歴史を末永く称えるために団体内で対象となった人物のみが使用できるように欠番にした番号をいう。
野球界における永久欠番の歴史は1939年、MLBアメリカン・リーグのニューヨーク・ヤンキースでルー・ゲーリッグが使用していた4を欠番としたことに始まる。当時ゲーリッグは、不治の病とされのちに「ルー・ゲーリッグ病」とも呼ばれる筋萎縮性側索硬化症で引退を余儀なくされたが、永久欠番とすることでチームに居続けることができることに歓喜した。

素振りをするルー・ゲーリッグ

当初はあくまでもゲーリッグだけの措置であったが、ナショナル・リーグでニューヨーク・ジャイアンツが1944年にカール・ハッベルの11を永久欠番に指定し、ナショナルリーグ初の永久欠番となった事で、徐々に広がり各チームが永久欠番を導入していった。

ドジャース、レッドソックス、アスレチックスなど多くチームは、選手のアメリカ野球殿堂入り・チームが定める在籍年数など永久欠番とするための条件を有している。また、選手以外にもファン、オーナー、球場アナウンサーが永久欠番を与えられて顕彰されたり、永久欠番と同様の顕彰を受けているケースもある。

1997年4月15日に20世紀に入ってからは黒人選手として初めてメジャーリーグでプレーし、その後の黒人選手がMLBでのプレーできる道を切り開いたジャッキー・ロビンソンを顕彰し、MLBはマイナーリーグを含めたMLB傘下すべてのチームで42をロビンソンの番号として永久欠番に指定した。従来から使っていた選手のみが引退まで移籍時も含めて継続して使用することを認められ、制定当時は選手・コーチを含めて該当者が20人前後いたが、MLBで最後に42をつけた選手はヤンキースのマリアノ・リベラで、2013年シーズンを最後に現役引退したことにより欠番の例外となる人物はいなくなった。
そのため日本に来る外国人選手は42番をつける選手が多い。その他マイナー・リーグにおいても永久欠番が独自で制定されている。

ジャッキー・ロビンソンは映画にもなっている。興味のある人は是非観てみると良い。

(黒人初のメジャーリーガー ジャッキー・ロビンソンを題材にした映画)

黒人初のメジャーリーガー ジャッキー・ロビンソン

日本のプロ野球においてもかなり早い段階で導入している。読売ジャイアンツでプレーしていた黒沢俊夫が1947年6月23日に腸チフスにより33歳の若さで急死。それを受けて1947年7月9日に沢村栄治の「14」とともに「4」が日本プロ野球として初めて永久欠番に指定された。なおこの時点でMLBで永久欠番に指定されていたのは上述のゲーリッグの「4」とハッベルの「11」のみである。


プロ野球界では、偉大な功績を残した選手には、付けていた背番号を永久に欠番にすることで、将来にわたって選手を讃えることがある。
この、永久欠番になるためには、選手として後世に残るような成績をあげるだけでは、永久欠番の称号はなかなか受けることはできない。